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獣医師ライター、明石のブログ

獣医師ライターというちょっと珍しいフリーランスが日々の出来事、仕事では書けないような私事を綴っています

こちらが大人になって「得た」ものと「失った」もの一覧になります

考えていること

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こんばんは、明石照秋です。早いものでもう1年も折り返したんですね。言われていた通り、年々時間が経つのが早くなっている気がします。

 

今回はタイトルにもある通り、大人になって「得られた」ものと、反対に「失った」ものについて書いてみようと思います。もちろんこれは自分目線から見たもので、当てはまらない人もたくさんいるでしょう。特に自分が「失った」と思っているものを今でも持っている方はぜひ大事にしてほしいと思います。自分を含め、多くの人がもう一度取り戻したいと思っているものでしょうから。

 

では、まず「得られた」と思っているものから挙げていきますね。

 

大人になって「得た」もの

 

自由に使えるお金

 

働き出してまず最初に実感したのは、自由に使えるお金が大幅に増えたということでした。これは単に遊べるお金が増えた、という意味ではなくて、家賃や生活費、その他色々な出費を自分でやり繰りする、という意味での自由なお金です。

 

社会人になると学生時代には考えられなかったような額のお金が通帳に入ってきますから、最初はいまいち実感がなかったものです。でもそのお金から自分の生活をやり繰りしていくということで、自分自身に「責任」が生まれた気がします。ああ、もう遊んでばかりの学生じゃないんだな、ということが徐々に理解できていきました。

 

責任感

 

社会人になるとあらゆることに「責任」が生まれます。働くということが一番分かりやすい例ですね。今までは頼まれたことをすっぽかしても、迷惑のかかる範囲はせいぜい自分の周りぐらいでしたし、とりあえず謝ればなんとかなっていました。

 

しかし、社会の中ではそうはいきません。その仕事1つですごい額のお金が動くこともありますし、迷惑のかかる範囲もはるかに大きくなります。人の生活がかかっているわけですからとりあえず謝っておけばいいや、なんて生易しいものではありません。

 

どんなに小さい仕事でもきっちり自分の責任を果たす、ということがとても大事だとよく分かりました。学生時代にはただ頭で分かっているつもりだっただけでした。なんでも適当だった自分ですが、社会人を経験してまだまだとはいえ、少し真っ当になれた気がしています。この点に関しては社会にとても感謝しています。

 

人への信頼、人からの信頼

 

上に書いた責任感が芽生えたというのも大きな要因ですが、それ以上に26年間生きてきた、ということが大きいと思います。今まで数えきれないほどのいろんな人たちと出会ってきて、その中で友達や親友が何人かできました。

 

もちろん出会ったその日に親友になった、というわけではありません。長い時間をかけて付き合って、お互いのいろんな面を見て徐々に親友や友達になったんです。信頼はそんなにすぐに生まれるものではないと思います。大人になった今までの年月で本当に信頼できる友人を見つけれたのはとても幸せだと思っています。

 

 

「得た」ものは以上です。細かく書くといくらでもあるんですが、キリがなくなるので自分の中で大きいと感じているもの3つに絞りました。

 

では次は失ったものを挙げていきます。

 

大人になって「失った」もの

 

(自分の)時間

 

大人になると生きていくために働かなくてはいけません。今は働き方も多様化してきて時間に縛られない働き方も多くなってきているみたいですが、まだまだ朝に会社に行って夜まで働く、という人が大多数でしょう。自分もそうです。

 

こうなると一日の半分近くは会社に拘束されることになります。自分の時間を売って、その対価にお金をもらっているわけですね。先に社会人になった先輩の多くは一番嫌なことは自分の時間がなくなったことだと言っていました。自分も今、社会人になってそれを痛感しています。学生時代とのギャップが苦しいですね。

 

ただ学生時代もある意味では学校に拘束されていたわけです。なのにこんなに違うのはなぜなんでしょうね。社会人ならお金も貰えるのに。楽しい、楽しくないだけの差なんでしょうか。

 

全能感、特別感

 

社会人になって苦しむギャップその2です。正直、自分も学生時代は「自分はやればで出来るやつなんだ」と思っていました。自分は他の人とは違う、というやつですね。恥ずかしい話ですが。

 

しかし、会社に入ってみれば自分よりはるかに出来る人が多く、自分は限りなく下の方。新卒なので当たり前といえば当たり前ですが、最初はショックでした。ちょっと仕事を覚えても、どんどん降りてくる新しい業務。自分がいっぱいいっぱいの中、そつなくこなしていく先輩社員の姿を見て、あんなに出来る人間になれるかな?いや、無理かもしれない。

 

そんな中で「あ、自分はいたって普通の人間なんだな」って気付かされました。確かにやれば出来るのかもしれないけど、それでも「普通」に区分されるような程度。嫌な言い方をすれば歯車というやつですね。

 

もちろん社会が回っているのはその歯車のおかげで必要不可欠な存在なんですが、できるならその歯車を回すほうになりたかった。そうして自分の中での「特別感」は薄れていきました。今でも納得はできなくて苦しんでいるんですが、そのうちそれもなくなってしまうんでしょうか。

 

自分の意志

 

大人になると自分の意思ばかり通すわけにはいきません。納得がいかないことでも、間違っていると思っていることでも自分が折れないといけない時があります。

 

それが「大人の対応」なんだよってよく言われます。これも理解はできますが、納得はできません。確かにみんながみんな好き勝手に動いていたら今の社会は崩壊するでしょう。それを防ぐためには時に自分の意志を殺さなければいけません。頭ではわかっているつもりですが、窮屈だなって思うことが多々あります。

 

きっと誰かに相談したら「若いね」って言われておしまいでしょう。じゃあ、逆に年をとってその気持ちすらなくなることが正しいんでしょうか。なにも考えず自分を殺し続けることが正解なんでしょうか。

 

そう考えると自分は恐ろしくなります。残りの人生ずっとこんなもやもやしたまま生きなければいけないのかって。もしかしたら自分も今流行りの社会不適合者なのかもしれません。こんなことを言ってるとモラトリアム真っ只中の若者みたいですね笑

 

 

以上が大人になって「失った」ものです。これも書き出すといくらでも出てくるんですけどね。

 

子供の頃、大人ができるなら子供に戻りたいって言ってた意味が今なら少しわかる気がします。その頃は大人のほうがはるかに自由に見えて、早く大人になりたい、なんて言ってたものですけどね笑

では今日はそんな感じで。それでは、明石照秋でした。